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私はなぜ摂理にいるのか(信仰告白)

私はなぜ摂理にいるのか

月明洞

私が摂理で信仰生活をするようになってかれこれ十年くらいが経とうとしている。

ときどきふと思うことは

「なぜ自分は摂理にいるのか」

「どうして自分は摂理で信仰生活をしているのか」

ということだ。

摂理を離れたいとか、摂理を脱会したいと思ったことはあまりなかったのだが、自分自身の人生をふと振り返った時にこのようなことを考えることがある。

 

何と言っても自分は典型的な日本の家庭で生まれて、もともと信仰を持っていたわけではない。

親がクリスチャンだったり、中学校や高校がミッション系の学校だったりすれば、あるいは信仰を持つのはさして不思議ではないと思う。

実際に少数派だとしても何万人という人々がこの無宗教の国と言われる日本においても神様を信じ、キリストを信じて、信仰生活をしているので。

 

しかし、なぜ大学生になるまで神様を決して信じることもなく(むしろ否定していた)、キリストの存在を認めていなかった(むしろ詐欺師か何かだと思っていた。本当に今思うとイエス様に申し訳ない)この私が神様を信じ、キリストを愛して、信仰生活をするようになったのか。

このことを考えると本当に稀有な運命の巡り合わせを与えてくださった神様に感謝するしかない。

 

理由の一つは、自分が変化したから

一つ理由を挙げてみた。(もちろんこれ以外にも理由はあるけれど)

それは、「自分が変わったから」

そう、確かに変わった。

18年間、自分ではどう頑張っても変えることのできなかった自分自身が変わったのだ。

むしろ御言葉に出会うまでは自分がどのように変わるべきなのかさえよく分かっていなかった。

なんとなく、心のどこかで「このままではいけない」という思いだけはあった。

変わりたくても変われない、またどう変われば良いのかさえも分からない。

そんな自分にどのように変われば良いのか(これはどのように生きれば良いのかと同義でもあると思う)を教えてくれ、どうすれば変われるのかも摂理は教えてくれた。

そして何より変わるための力を摂理の御言葉は与えてくれた。

 

なぜ自分は変われたのか

18年間、自分ではどう頑張っても変わることのできなかった私が変わった。変われた。

しかし、人が変わるというのは簡単ではない。

とても難しい。

エネルギーがいる。

(化学を学んだことがある人は分かると思うが、物質の状態を変化させるためにはエネルギーが必要なように人が変わるのにもエネルギーがいるのだ)

 

変わるための力の源、それは御言葉だった。そして御言葉を教えてくれた鄭明析先生の生き様だった。

 

[摂理ブログ]マザー・テレサ

[摂理ブログ]マザー・テレサ

マザー・テレサが設立した神の愛の宣教者会というカトリックの女子修道会がある。

現在、133の国と地域で活動し、4500人以上の修道女がいる。

フランシスコ・ザビエルで有名な男子修道会の中で一番大きいイエズス会という修道会でも112カ国で活動する2万人の会員なのだから、1950年から始まった神の愛の宣教者会の勢いがものすごいということが分かると思う。

(イエズス会は1534年に設立された。)

これほどの勢いによって多くの人々に広まったのはやはりマザー・テレサの生き方に人々が共感したからであり、その精神に感動したからだと思う。

 

私がなぜ摂理にいるのかを考えた時、それは先生の御言葉に感動し、先生の生き方に感動したからだと改めて感じた。

ぶっきらぼうで感情表現に乏しい自分が御言葉を聞いて涙を流し、先生の生き方に触れて感動し涙を流していることを考えると、摂理というのは本当に神様が働かれていると感じるしかない。

 

以前、この記事で書いたことがあるのだが、

【鄭明析牧師について】道を作る

先生は道を歩くとき後ろからついてくる人たちのために石や木などの邪魔なものをどかして、女の人や子供でも楽に通れるようにされる。

自分も先生の生き方を知って、自分もそのように人のために生きたいと本当に感動した。

先生の生き方はまさに犠牲の生き方だなと感じることがある。

自分よりも神様を最優先に考え、私たちのことを最優先に考える。自分はいつも後回しだ。

イエス様もそうだったけれど、犠牲とは愛だというのを先生から感じるしかない。

 

キリストの犠牲の精神を持てるように、さらに変わりたいと切に願う28歳の秋である。


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摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活をする30歳。職業はネットワークエンジニア。 日本キリスト教福音宣教会で初のYouTuberとして活躍中(?)です。ぜひYouTubeも見てチャンネル登録してください。 映像編集と写真動画撮影、音響関係に興味があります。主な使用機材はDMC-GH4とDMC-GH3です。

9 Comments on 私はなぜ摂理にいるのか(信仰告白)

  1. 西郷ど~ん // 2014年10月21日 at 09:16 // 返信

    真実な告白ありがとうございます。
    私も過去キリスト教大嫌い、宗教大嫌いな人でした。
    でも先生の真実に祈る姿・力一杯讃美する姿に感動を受け、いつの間にか自分も力一杯讃美する人になっていました。
    御言葉を教えて下さるのが先生じゃなかったなら、私が神様を呼ぶことは人生の中でなかったと思います。
    偏見の塊の私の頑なな心を溶かして下さった先生、ありがとうございます。

  2. Dr.dinosaur // 2015年1月19日 at 07:04 // 返信

    自分自身の変化というものは疑う余地がありませんから、大きな大きな力になりますよね。また、自分一人ではもう駄目だ、というおもい思いに至るまで頑張ったときにこの変化というプレゼントをくださるので、神様を知らない人にとっては、人知を越えたものを感じるわけなんですね。
    凝り固まった僕の脳をほぐし、コーチし続けてくださる先生にただひたすら感謝です。

  3. 先生の愛は本当にすごいですよね。
    先生の神様、聖霊さま、御子への愛!
    命を愛される心に感謝です。

  4. 齢30歳ともなれば、人たるものなかなか変われないのが、世の常。人を変え、希望を与える鄭氏はすごい人です。

    • 平和のない世界に平和を。
      希望のない世界に希望を。
      愛のない世界に愛を。
      今度は私が与える生を生きなければと感じます!

  5. “<証>は自分が変化したことの証、自分が恵みを受けたことの証、自分が救われた経緯の証、時代の証、時代の御言葉の証だ。”
    の箴言のとおり、素晴らしい信仰告白の証ですね!

    • コメント、ありがとうございます。私のような小きものをも証を通して用いてくださる神様に感謝します!

  6. 人が変化することほど大きな奇跡はないと思います。死んでも変わらないだろ~と思うひとがみことばと愛で変化する。そんな奇跡は神様でないと無理ですね。

  7. 自分が変化したこと、自分の体験は本当に否定てきない大きな証ですね!!

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