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前に進むためには後ろ足を前に出さないといけない

『前に進むためには後ろ足を前に出さないといけない』

この言葉は鄭明析先生が御言葉の中でおっしゃった一言でした。
何を馬鹿なことをとおっしゃるかもしれません笑
人が前に進むためには後ろ足を前に出さなければなりません。
人間の構造上、当たり前のことです。

人が前進するためにはなにか古いものを捨てなければならないと思います。
古いものを捨ててこそ前に進むことができます。

聖書を読んでみるとこのような聖句があります。

マタイによる福音書5章43節~
5:43『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:44しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
5:45こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
5:46あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
5:47兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
5:48それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

旧約においてはこのように言われていました。
「隣人を愛し、敵を憎め」
しかし、イエス様すなわち新約においてはこのように教えられました。
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と。
敵を憎むことと、敵を愛すること。
この二つのことは文字とおりにだけ見ると相反することのようです。
しかし、これはイエス様が旧約時代から新約時代へと歴史を前進させたことを表している言葉だと思います。
歴史を前進させた言葉。
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」
敵を憎むということは簡単なことです。
しかし、そこにとどまっていては一生この世界から戦争や争いはなくなることはないでしょう。
イエス様はまさに前に進むために後ろ足を前に出したと言えるのではないでしょうか。
そしてイエス様はまさにこの言葉を体現なさいました。実践で示されたのです。
十字架に架けられてもなおイエス様は神様に祈られました。
「彼らの罪を許し給え」と。
また、他にもこのような記述が聖書にはあります。

マタイによる福音書12章9節~14節
12:9イエスはそこを去って、彼らの会堂にはいられた。 12:10すると、そのとき、片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に人をいやしても、さしつかえないか」と尋ねた。 12:11イエスは彼らに言われた、「あなたがたのうちに、一匹の羊を持っている人があるとして、もしそれが安息日に穴に落ちこんだなら、手をかけて引き上げてやらないだろうか。 12:12人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」。 12:13そしてイエスはその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、ほかの手のように良くなった。 12:14パリサイ人たちは出て行って、なんとかしてイエスを殺そうと相談した。

旧約においては律法が最重要視されており、律法を守らないことは大きな罪でした。
その律法の中には安息日(今で言う日曜日、主日)には一切働いてはならないというものがありました。
歩いて良い歩数まで規定されていたというのですから驚きです。
そのため安息日に病人を癒やすことは律法に反することでした。
しかし、イエス様はパリサイ人たちに「安息日に人を癒しても差し支えないか」と質問された時に揚げ足を取ろうとする彼らの思いを看破なさって、新しい時代の御言葉で彼らの策略を打ち破られました。
安息日に歩いて良い歩数が重要なのではなく、安息日に働かないことが問題ではない。
安息日には神様に出会い、神様を敬拝する日であって、細かい規定が問題ではない。
安息日は神様のための日だから神様が願われることであればそれをするのが正しいと、はっきりとおっしゃったのです。
この言葉も歴史を前進させた偉大な一言だったと言えるのではないでしょうか。

時代というのは時が流れれば自然と前進するものではありません。
ノアの時代にはノアが歴史を進めました。
アブラハムの時代にはアブラハムが歴史を進めました。
モーセの時代にはモーセが歴史を進めました。
2000年前にはイエス様でした。
イエス様によって、4000年という長い旧約歴史に終止符を打ち、新しい歴史、新約歴史が始まるようになりました。
旧約とは旧い約束であり、新約というのは新しい約束です。
旧約の約束はイエス様によって成し遂げられました。それが新約時代です。
新約の約束が成し遂げられるのが成約時代ですが、成約時代もただ時が流れば自然とやってくるものではありません。
イエス様の時のように神様が働かれるその時代の中心人物によって<後ろ足を前に出す>ための言葉が必要でしょう。

時が進むに連れて次元を上げて成し遂げられる神様の歴史。
私も後ろ足を前に出すことができる御言葉によって常に前進する生を生きたいと思います。


About ichiro (411 Articles)
摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活をする30歳。職業はネットワークエンジニア。 日本キリスト教福音宣教会で初のYouTuberとして活躍中(?)です。ぜひYouTubeも見てチャンネル登録してください。 映像編集と写真動画撮影、音響関係に興味があります。主な使用機材はDMC-GH4とDMC-GH3です。

3 Comments on 前に進むためには後ろ足を前に出さないといけない

  1. ブラボー // 2015年1月19日 at 07:45 // 返信

    今この時に導かれたことを感謝します。
    神様がなしたかった創造目的が成就するこの時、
    私も御言葉を聞いて行っていくことで牛歩であっても
    自分を変化させたいです。

  2. 歴史は確実に成され進んでいる今、私も神様の歴史に合わせて前進する生を送りたいと思います。

  3. 見出しにひかれてクリックしました。
    数百年、数千年とスケールの大きい話は苦手なのですが、この記事を読んで、
    「大昔の話だとしても、自分と全く無関係な話ではないのだ」と感じました。

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